郷土史家・猪股哲夫氏が遺した切込焼

更新日:2022年09月25日

  令和3年、加美町宮崎地区の郷土史家・猪股哲夫氏が生前収集された切込焼、および関連資料の数々が、ご子息夫妻の申し出により、「猪股哲夫コレクション」として当館に一括寄贈されました。窯跡から採集された大量の磁器片を主体に、陶石や鉱物、写真等を含めると総点数は1,000点を超えます。今回は、その中からごく一部ですが、ご紹介いたします。

切込焼 染付山水文飯茶碗

切込焼 染付山水文飯茶碗

w12.2cm h5.7cm

端反形の飯茶碗です。灰白色の地に透明感のある呉須を使い、東屋山水を描きます。輪郭を取らず、手慣れた感じでささっと筆を走らせて描き上げています。口縁の先端が外側に開く本スタイルは、幕末から明治初期頃の第3期に特に大量生産されました。見込にドーナツ状の釉剝ぎが施されているのも、重ね焼きを可能して量産を狙ったためです。尚この時期には釉剝ぎに加え、足付の焼台も多く使用されています。

 

切込焼 染付菊文火入

切込焼 染付菊文火入 w10.9cm h6.6cm

コロンとした丸みが愛らしいこの器は、煙草の火種を入れる容器「火入」です。正面に折枝の菊、背面に蝶を配し、口縁の四方襷文等もきっちり丁寧に描かれています。呉須の黒っぽい発色も味わい深いものがあります。実はこの器、猪股家の厩から発見され、中には氏の胞衣(へその緒)が入れられていたとのこと。生涯の殆どを切込焼研究に取り組んだ氏の、運命の不思議さをも感じさせます。

切込焼 白磁唐獅子文水滴

切込焼 白磁唐獅子文水滴

w5.5×9.7cm h3.4cm

「棟梁山下吉蔵と娘つね」コーナーで出品中の水滴。天を仰ぐかのように跳躍する唐獅子が扇形の器面に浮き彫り状で表現されています。昭和50年、東北大学による西山工房址発掘調査では、裏面に「山下」と刻まれた本水滴の型が出土し、持ち主は棟梁山下吉蔵と推定されています。哲夫氏はほぼ完形の本品を窯跡周辺で採集し、その旨を裏面に記しています。伝世品は未確認であるため、貴重な資料となっています。

 

 

猪股氏収集の鉱物各種

宮崎産鉱物の数々(常設展2階展示より)

氏が数十年の歳月をかけて採集した宮崎産の鉱物。鉛、石膏、玉髄、湯倉産黒曜石等を紹介しています。キラキラ光る黄銅鉱・黄鉄鉱はかつては道にそのまま転がっていたものだと聞いています。実は宮崎の山々は古くから鉱山で栄えていました。鉱山入口には番所跡が遺り、金山下代星氏や鉱山師細倉氏の存在も知られています。とくに天保期の鉛の採掘・精錬の様子は、「湯倉温泉紀行」(宮城県図書館蔵)で知ることができます。鉱山が盛んであったからこそ、磁器原料陶石や釉料の発見に繋がったものと、考えられるのです。

猪股哲夫氏について

大正15(1926)年旧宮崎町上町、屋号「横屋」の猪股家に生まれます。「宮崎」の名の由来とされる麓地区熊野神社宮司の流れを汲む家柄です。家業である農業の合間に、郷土の歴史や文化財について幅広く調査研究され、昭和54年宮城県歴史の道調査事業では宮崎町域の調査員を務めました。昭和60年には父八喜氏の跡を継いで町の文化財保護委員となり、他に県の自然保護委員、山岳救助隊、宮崎山岳会会長も務めました。

切込焼については特に熱心に研究され、平成元年ふるさと陶芸館展示調査員会委員、平成2年から同7年まで館相談役、平成8年から18年まで非常勤館長、同19年館顧問を歴任されています。

郷土の歴史や自然を愛し、遺跡や山々を歩き尽くした人でもありました。整理は未だ完了していませんが、折をみて少しずつ紹介できればと思います。

 

 

この記事に関するお問い合わせ先

加美町ふるさと陶芸館(切込焼記念館)

〒981-4401
宮城県加美郡加美町宮崎字切込3番地

電話番号 0229-69-5751
ファックス番号 0229-69-6553

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