概要

  • 位置 東経140度51分、北緯38度34分
  • 海抜 46.32メートル
  • 面積 460.67平方キロメートル

位置・地勢・気象

 加美町は、宮城県の北西部に位置し、東西に約32km、南北に約28km面積は約461平方キロメートルあり、県内でも有数の面積を有しています。西部は奥羽山脈を隔てて山形県尾花沢市に、南部は宮城県色麻町に、北部から東部にかけて宮城県大崎市に接しています。地形としては西部、北部、南部が山岳、丘陵地となっており、ブナなど豊かな森林を有する船形山や、加美富士と呼ばれ加美町のシンボルとなる“薬萊山”がそびえています。丘陵地から、鳴瀬川、田川などが町を貫流し、その流域は肥沃な田園地帯が広がりをみせ、丘陵地帯、高原、平野部における四季折々の自然の変化が満喫できます。また、天然記念物「鉄魚」の生息する魚取沼などの湖沼が点在しております。
 加美町の気象は、寒暖の差が大きい内陸型気候に属し、西部の山岳・丘陵地帯は降雪量も多く豪雪地帯に指定されております。最近5年間の平均気温は11.2℃、年間平均降水量は1,186mmあり、冬から春にかけて北西風が強い地域です。

アクセスマップ

歴史・文化

 加美町の歴史は、旧石器時代の遺物が発見されるとともに、縄文時代の遺跡が数多く存在しており、先史の時代から豊かな縄文文化が花開いていました。8世紀頃、この地域は、陸奥の国府多賀城より出羽国府ないし秋田城に行く要衝の地にあったため、兵士や人馬の往来が激しく大変な賑わいを呈していたものと思われます。中世を迎え、この地域は大崎氏の支配を受けることになりましたが、戦乱の時代を経て伊達家の藩政下に入りました。伊達家は、領内の支配体制を確立するため田畑の総検地を行い、この検地によって3町の旧村の原型が確立しました。
 加美町には、奈良・平安時代の役所跡とされる「城生柵跡」や「東山官衙遺跡」、江戸時代の侍屋敷「松本家住宅」は国指定の文化財となっているなど多くの史跡が遺されています。
 加美町の沿革としては、明治に入り、政府が中央集権国家の基礎を確立すると、明治22年には、戸籍や小学校などの事務を円滑に行うことを目的に、全国一律に行った「明治の大合併」により、27村から1町5村(中新田町・鳴瀬村・広原村・小野田村・宮崎村・賀美石村)に統合されました。昭和29年には、新制中学が合理的に運営できる人口規模という点を念頭にした「昭和の大合併」により、中新田町、広原村、鳴瀬村が中新田町に、宮崎村、賀美石村が宮崎町になり、昭和18年に町政を施行した小野田町を含め、3町を構成してきました。そして、平成15年4月1日に、中新田町、小野田町、宮崎町が合併し『加美町』となりました。
 また、長い歴史の中で培われ、地域に根ざした生活文化や、県指定の無形文化財にも指定されている「中新田の虎舞」、「小野田の田植踊」、「柳沢の焼け八幡」などの伝統芸能や祭りなどの個性あふれる地域文化が継承されています。さらに、新しい地域文化の創造を目指し、「バッハホール」や「やくらい文化センター」、「切込焼記念館」などの施設の整備が図られ、特色ある文化活動が行われています。